明治文学界の今昔(2)
カテゴリ : 資料・文学史の落穂拾い
『日本及日本人』第四百五十号から
紅袍生「明治文学界の今昔」(『日本及日本人』第四百五十号、政教社、明治四十年一月一日発行。)
小説界
十年は一と昔とか云ふ、其一と昔を通り超す事更に三年前、日清戦争の終り懸けたる二十八年頃の、我国文壇の詩人文人を並べ来り、今年頃の文壇に比べて見れば、人に於て、一般の事実にあつて、変遷の甚しきものあるは、今更乍ら我れも人も、驚くべきもの尠なからず、或は世を隔つる思ひなきにしもあらぬ也、先づ当年現在の小説作家より数へて見んに、
坪内逍遙 森鴎外 饗庭篁村 森田思軒 高橋太華
依田学海 福地桜痴 前田香雲 塚原蓼洲 宮崎三昧
幸田露伴 二葉亭還【四迷の誤植であろう】 山田美妙 正直正太夫 嵯峨のやおろ【お室=おむろが正しい】
幸堂得知 南新二 村井弦斎 原抱一庵 石橋忍月
川上眉山 大橋乙羽 江見水陰【蔭が正しい】 石橋思案 中村花痩
広津柳浪 内田不知庵 遅塚麗水 条野採菊 茅渟の浦浪六
黒岩涙香 西村天囚 渡辺霞亭 岡野半牧 武田仰天子
宇田川文海 末広鉄腸 末松青萍 織田純一郎 井上勤
二宮孤松 若松賤子 三宅花圃 樋口一葉 藤本藤蔭
三品藺渓 根本凌波 榎本破笠 松居松葉 半井桃水
柳塢亭寅彦 伊藤橋塘 広岡柳香 若葉蝴蝶 岡田千紫楼
小宮山即真 小金井君子 尾崎紅葉 巌谷漣【小波とも】 矢野龍溪
多士済々たる六十有一士、先づ大抵は網羅されたるに庶幾し。抑も今日に当りて、日本文学の将来などゝ、大議論を吐く新卒業の学士先生も多けれど、先づ以上列挙したる作家の悉くと、作物の悉くを知るものあるやは疑はしきなり。織田純一郎の「いさ子」、井上勤の「亜剌比亜夜物語」、末広鉄腸の「雪中梅」、矢野龍溪の「浮城物語」など、最早事は古りたる也。此の中、故人となりしものには、紅葉、思軒、桜痴、正太夫、新二、抱一庵、乙羽、花痩、採菊、鉄腸、賤子、一葉の十二作家あり、太華の「小国民」時代は夢にして、今や美術院に其の影を潜め、嵯峨の屋は語学に教鞭を採り、忍月は折獄*1の務めに忙はしく、天囚は史跡の探討に熱心し、学海は漢詩漢文に感興を寓し、青萍は半ば政治家、半ば英文家たるのみ、井上勤の名は昨年の英語教員検定予備試験合格者の中に見出されたるに驚き、藤陰【ママ】は根岸に隠居して、「藤の一本」末枯れたり、寅彦は俳優熱に浮かされて、得意の三面の才筆さへ見る事稀れに、喜美子【君子に等しいか】は家庭に隠れ、龍溪は「出鱈目の記」を編むに労し、漣は御伽話に小国民の御機嫌取りに力むるのみ。斯くて今日の文壇に猶ほ嚢日の声名を保つものは、僅かに鴎外、逍遙、四迷位ゐに止まり、次は蓼洲、露伴、眉山、水陰、柳浪、不知庵、麗水等、昇らず、降らずの地位に留まるに過ぎず、若夫れ篁村、美妙、得知、弦斎、思案、浪六、仰天子、文海、破笠、桃水、南翆など云ふ面々に至つては、漸く人の記臆より抜け去つて、長く忘却の淵に沈められんとし、藺渓、凌波、柳香、千紫楼、三昧なんどの連中は、何処にどうしてあるやらさへ分らぬなり。紅顔よく幾時ぞ、花の盛りの一と時は、独り美人の怨みのみにはあらで、作家にも適用さるべき恨事なりき。「都の花」、「新著百種」は渠等の晴れの舞台なりしも今は已んぬ、脚本会も、旧根岸派も散り散りとなれり、旧の早稲田派も今の早稲田派ならねば、千駄木派も鴎外以外に影がなく、纔かに硯友社が歪みなりに立ち居る丈けの事、変れば変るものとはよく云つたものかな。
更に今日の主なる小説家はと数へて見れば、
徳田秋声 柳川春葉 小栗風葉 泉鏡花 島村抱月
伊原青々園 生田葵山 夏目漱石 佐藤紅緑 宮崎湖処子
島崎藤村 藤本夕颷 泉斜汀 山岸荷葉 徳富蘆花
田口掬汀 草村北星 水谷不倒 大塚楠緒子 米光関月
後藤宙外 国木田独歩 正宗白鳥 菊池幽芳 中村春雨
小山内八千代 永井荷風 田村松魚 田山花袋 小杉天外
など云つたものにて之れに前掲の
鴎外、篁村、蓼洲、露伴、四迷、弦斎、眉山、水蔭、柳浪、不知庵、麗水、浪六、涙香、霞亭、松葉、桃水
を加へたるが、即ち今年以後の文壇の容量なり。実際今日の作家を一言にして掩へば、大抵は青年作家と云ふべく、先づ大半以上は四十に手が届かず、何れも修養次第にては随分とプロミツスのある人々なり、之を十三年前の大半が、平均三十歳以上まで、之れから下り坂となるとも上り坂に向ふは少しとされたる当時に比すれば、白と黒ほどの違ひならずや。即ち数は少くとも、質に於いて埋め合せが充分に付くべし、去れど時の進みは人を待たず、今の文壇は素養のある人が我勝ちの様になつて来て、学才のある青年が、争つて此の門に入らんと焦燥りつゝある時代なり、若し今日の作家先生方が、何時も何時も惰けてのみあらんには、其の後輩に追越さるゝ度は、十三年前の老大家が後の雁に追越されたるに比べて、一層速かなるものあるべし、何事も修養が専一、々々。
紅袍生「明治文学界の今昔」(『日本及日本人』第四百五十号、政教社、明治四十年一月一日発行。)
小説界
十年は一と昔とか云ふ、其一と昔を通り超す事更に三年前、日清戦争の終り懸けたる二十八年頃の、我国文壇の詩人文人を並べ来り、今年頃の文壇に比べて見れば、人に於て、一般の事実にあつて、変遷の甚しきものあるは、今更乍ら我れも人も、驚くべきもの尠なからず、或は世を隔つる思ひなきにしもあらぬ也、先づ当年現在の小説作家より数へて見んに、
坪内逍遙 森鴎外 饗庭篁村 森田思軒 高橋太華
依田学海 福地桜痴 前田香雲 塚原蓼洲 宮崎三昧
幸田露伴 二葉亭還【四迷の誤植であろう】 山田美妙 正直正太夫 嵯峨のやおろ【お室=おむろが正しい】
幸堂得知 南新二 村井弦斎 原抱一庵 石橋忍月
川上眉山 大橋乙羽 江見水陰【蔭が正しい】 石橋思案 中村花痩
広津柳浪 内田不知庵 遅塚麗水 条野採菊 茅渟の浦浪六
黒岩涙香 西村天囚 渡辺霞亭 岡野半牧 武田仰天子
宇田川文海 末広鉄腸 末松青萍 織田純一郎 井上勤
二宮孤松 若松賤子 三宅花圃 樋口一葉 藤本藤蔭
三品藺渓 根本凌波 榎本破笠 松居松葉 半井桃水
柳塢亭寅彦 伊藤橋塘 広岡柳香 若葉蝴蝶 岡田千紫楼
小宮山即真 小金井君子 尾崎紅葉 巌谷漣【小波とも】 矢野龍溪
多士済々たる六十有一士、先づ大抵は網羅されたるに庶幾し。抑も今日に当りて、日本文学の将来などゝ、大議論を吐く新卒業の学士先生も多けれど、先づ以上列挙したる作家の悉くと、作物の悉くを知るものあるやは疑はしきなり。織田純一郎の「いさ子」、井上勤の「亜剌比亜夜物語」、末広鉄腸の「雪中梅」、矢野龍溪の「浮城物語」など、最早事は古りたる也。此の中、故人となりしものには、紅葉、思軒、桜痴、正太夫、新二、抱一庵、乙羽、花痩、採菊、鉄腸、賤子、一葉の十二作家あり、太華の「小国民」時代は夢にして、今や美術院に其の影を潜め、嵯峨の屋は語学に教鞭を採り、忍月は折獄*1の務めに忙はしく、天囚は史跡の探討に熱心し、学海は漢詩漢文に感興を寓し、青萍は半ば政治家、半ば英文家たるのみ、井上勤の名は昨年の英語教員検定予備試験合格者の中に見出されたるに驚き、藤陰【ママ】は根岸に隠居して、「藤の一本」末枯れたり、寅彦は俳優熱に浮かされて、得意の三面の才筆さへ見る事稀れに、喜美子【君子に等しいか】は家庭に隠れ、龍溪は「出鱈目の記」を編むに労し、漣は御伽話に小国民の御機嫌取りに力むるのみ。斯くて今日の文壇に猶ほ嚢日の声名を保つものは、僅かに鴎外、逍遙、四迷位ゐに止まり、次は蓼洲、露伴、眉山、水陰、柳浪、不知庵、麗水等、昇らず、降らずの地位に留まるに過ぎず、若夫れ篁村、美妙、得知、弦斎、思案、浪六、仰天子、文海、破笠、桃水、南翆など云ふ面々に至つては、漸く人の記臆より抜け去つて、長く忘却の淵に沈められんとし、藺渓、凌波、柳香、千紫楼、三昧なんどの連中は、何処にどうしてあるやらさへ分らぬなり。紅顔よく幾時ぞ、花の盛りの一と時は、独り美人の怨みのみにはあらで、作家にも適用さるべき恨事なりき。「都の花」、「新著百種」は渠等の晴れの舞台なりしも今は已んぬ、脚本会も、旧根岸派も散り散りとなれり、旧の早稲田派も今の早稲田派ならねば、千駄木派も鴎外以外に影がなく、纔かに硯友社が歪みなりに立ち居る丈けの事、変れば変るものとはよく云つたものかな。
更に今日の主なる小説家はと数へて見れば、
徳田秋声 柳川春葉 小栗風葉 泉鏡花 島村抱月
伊原青々園 生田葵山 夏目漱石 佐藤紅緑 宮崎湖処子
島崎藤村 藤本夕颷 泉斜汀 山岸荷葉 徳富蘆花
田口掬汀 草村北星 水谷不倒 大塚楠緒子 米光関月
後藤宙外 国木田独歩 正宗白鳥 菊池幽芳 中村春雨
小山内八千代 永井荷風 田村松魚 田山花袋 小杉天外
など云つたものにて之れに前掲の
鴎外、篁村、蓼洲、露伴、四迷、弦斎、眉山、水蔭、柳浪、不知庵、麗水、浪六、涙香、霞亭、松葉、桃水
を加へたるが、即ち今年以後の文壇の容量なり。実際今日の作家を一言にして掩へば、大抵は青年作家と云ふべく、先づ大半以上は四十に手が届かず、何れも修養次第にては随分とプロミツスのある人々なり、之を十三年前の大半が、平均三十歳以上まで、之れから下り坂となるとも上り坂に向ふは少しとされたる当時に比すれば、白と黒ほどの違ひならずや。即ち数は少くとも、質に於いて埋め合せが充分に付くべし、去れど時の進みは人を待たず、今の文壇は素養のある人が我勝ちの様になつて来て、学才のある青年が、争つて此の門に入らんと焦燥りつゝある時代なり、若し今日の作家先生方が、何時も何時も惰けてのみあらんには、其の後輩に追越さるゝ度は、十三年前の老大家が後の雁に追越されたるに比べて、一層速かなるものあるべし、何事も修養が専一、々々。
- 注1 裁判のこと。石橋忍月は弁護士でもあった。
